災害時の対応

阪神・淡路大震災で災害救援物資を運ぶ
宅急便集配車(1995年)

「新潟県中越地震」の地すべりに巻き込まれた
宅急便集配車(2004年)
1940(昭和15)年、静岡市で発生した大火災は2万 8,000人以上の罹災者を出した。
静岡市役所の要請に応じて、大和運輸は50両編成の復興救援隊を派遣した。
市から救援隊に貴重なガソリンが支給されたが、小倉康臣は復興活動以外に使うことを決して許さなかったという。
1980年代以降も数多くの災害があった。
長崎県の集中豪雨や普賢岳噴火、長野県西部地震や北海道南西沖地震では、被災地の宅急便や引越料金の割引、個人発着の荷物の無料輸送など、災害時であってもお客さまに荷物をお届けする取り組みを行ってきた。
1995年阪神・淡路大震災ではいち早く現地の社員が行方不明者の捜索や住居探し、炊き出しや日用品の調達などを手分けして行った2004年の新潟中越地震では、十日町市の要請で救援物資を配送している。

東日本大震災の瓦礫の中徐々に配達を再開(2011年)
こうした災害の経験が最も活かされたのが2011年3月11日の東日本大震災だ。
被災地社員の自発的な救援活動や輸送協力がヤマトグループの震災復興への取り組みとして高く評価された。
災害時だから特別にできたことでなく普段から当たり前のように行っていること、「ヤマトのDNA」—社訓の「ヤマトは我なり」の実践が「ヤマトの現場力」にあった。
この現場力はその後の災害発生時にも受け継がれている。